スポンサー リンク

私のハードだった体験談

前回は、私の周りを見渡して感覚値の時間でしたが、私の実体験として、ハードだった経験談を2点記載します。個人的に激務と思っているだけなので、世間と比べれば足したことはないと思う方もいらっしゃるかもしれません・・・

また、忙しさ自慢は、個人的には恰好が悪いものだと思っているため、あまりしたくないのですが、仕事の実態が少しでも伝わればと思い、実体験を記載します。
特にマネージャ時代の時については、自分のタイムマネジメントが甘く、自業自得であるため恥ずかしい限りなのですが、もし参考になるようなことがあればと思い、書いておきます。

概要は、こんな感じです。

  • シニアコンサルタント時代:プロジェクトが忙しく、数か月間に渡り月300時間以上の労働が続いた
  • マネージャ時代:プロマネと並行して提案を行うが、担当プロジェクトで課題が発生し、提案に手が回らなくなった結果、提案締め切り前に3日連続で徹夜し提案書を作成した

 

~シニアコンサルタント時代~

あるプロジェクトが火を噴いていると言うことで、援護のため急きょ、プロジェクトにアサインされました。

そのプロジェクトのマネージャから言われた第一声は、「助けて!」だったので、少しでも力になりたいと、気合を入れてプロジェクトに乗り込んだのですが・・・。

プロジェクトは、ある地方のプロジェクトであったため、基本的には土日は、自宅に帰ることができました。
月曜日(前泊の場合は、日曜日)から木曜日までは、プロジェクトルームから徒歩2分のところにあるホテルへ宿泊する状態でした。
このため、プロジェクトメンバは、終電やタクシーを気にすることなく、思う存分残業し、基本の帰宅時間が午前3、4時、調子が良いと朝の6、7時まで皆が残業・・・。
朝方までの残業が常態化したプロジェクトでした。

場合によっては、ホテルのPMの部屋などで仕事をしているグループもあるようで、プロジェクトルームにいないにもかからず、朝の3時、4時にメールがチャットのように飛び交っていました。

午前1時でもミーティングルームの予約が取れず、3時から指定されるなど、全体的に感覚がずれているプロジェクトでした。

昼食、夕食の休憩を除いて、最低でも1日16時間労働していました。前日何時まで働いても、朝9時にはきちんと出社していました。

土日勤務がないにも関わらず、320時間程度を超える状態が3~4カ月続いてしまいました。この時間は、平日のみの時間で、仕事の一部は持ち帰っています。休日は、おそらく1日休み、残りの1日で平均10時間くらいは、仕事をしていましたので、前記の時間のプラス40~50時間ほどが実質の月の労働時間になっていたのだと思います。

PMに「助けて!」言われたため、鼻息荒く、プロジェクトへ参加したものの、自分の力では、プロジェクトの状況を変えられることもできない状況で、歯がゆく、また、3か月経ってもプロジェクトの状況が好転せずに、ただひたすら盲目的に作業をこなしていました。
そんな最中、突如、会社がプロジェクトからの撤退を決めたため、後任の会社に引き継ぎプロジェクトからリリースされました。

自分の無力さを思い知らされ、また、全く成長することができなかったプロジェクトでした。 ただ、自分の勤務時間の限界を知る良い機会になりました。

余談ですが、先ほど宿泊先がプロジェクトルームから、徒歩2分と書きました。私の場合、仕事が終わり、ホテルの部屋に帰っても仕事で頭を使っていたせいなのか分からないのですが、頭が冴えて、なかなか直ぐに眠ることができませんでした。
体は睡眠を求めているのに、頭は興奮してなかなか眠れない、遂仕事のことを考えてしまう、ということが多々ありました。
良く耳にするような「仕事で疲れて、家に帰るなりバタンキュー」と言う状況は、慢性的な睡眠不足の割には、一度もありませんでした。
体質なのかもしれませんが、私の場合は、頭が、「仕事モード」から「プライベートモード」に切り替わるために、結構な時間が必要なようです。
私の周りにも、同類の人間がいました。疲れているのに直ぐに眠れないのは、損する体質だと、我ながら思いました。

 

~マネージャ時代~

その当時は、1つのプロジェクトのマネージャとして、月に0.75人月程度の仕事をしていました。 そこへ別のクライアントからRFP(Request For Proposal:提案依頼書)が出て、パートナーより提案の依頼が入っていきました。
提案の期日としては、余裕があり、また、担当していたプロジェクトも比較的安定していたため、依頼を受けて提案のメンバとして参加することになりました。

その提案は、提案する予定の金額が10億を超えるような比較的大きめの提案であったため、複数メンバで作業行うことになり、パートナーを含めたミーティングを数回経て、提案方針や役割分担等が決ました。
提案するボリュームも多かったため、役割分担の結果、担当するパートは、確かPowerPointで40~50枚程度だったと思います。

しかし、作成に着手しようとした矢先に、マネジメントしていたプロジェクトで問題が発生してしましました。

問題解決のため時間がかかり、提案の作業まで全く手が回らず、提案書提出の期限が迫ってきていました。
他の提案メンバも作業に追われていたため、アラートを上げたものの作業分担を変更できず、ずるずると提出期限の1週間前に・・・。

その時点で、やっとプロジェクト側の問題に一区切りがついたため、提案側に時間を割く余裕が出てきました。
ただし、定例報告などの通常の業務は、引き続き入っていました。
当時の私のドキュメントスキルでは(今も無理ですが)、プロジェクト業務を行いながら、作成資料のレビュー・修正を行いつつ、50枚程度の完遂は、とても無理に思え、絶望感に覆われ精神的にとても追い込まれたのを憶えています。

結果的には、週前半は、1日2,3時間の睡眠と、最後の3日間は連続で完徹し、「何とか形にして」提出することができました。

徹夜3日目の夜などは、寝落ちや気が遠くなるようなこともなく、「自分は意外と寝なくても大丈夫だな」、などと思ったことを記憶しています。
ただし、その時に作成していた提案書を振り返ってみると、やはり品質は悪く、「一体このページで何を言いたいのだろう?」と思ってしまうような恥ずかしいページが多々ありました。

通常であればレビューでボロボロに指摘されるのですが、さすがに提出期限が迫ってきていたこともあり、レビューを担当したパートナーも仕方なく妥協してくれたようなレベルだったのだと思います。
そういった意味では、先ほど書いたように、「何とか形にした」だけで、作業を「完遂した」とはかけ離れた状態だったと思います。

期限ギリギリで提出した提案書は、その後プレゼン等を行い審査されたものの、「提案内容は良かったが、価格が折り合わない」との理由で失注となってしまいました(案件を獲得できれば、報われたのですが)。

自分のタイムマネジメントの甘さへの後悔・ドキュメント能力の低さと大切さの痛感し、徒労感が残る提案となってしまいました。

ただ、こちらはシニアコンサルタント時代と比べて、反省点が多々あり、自分としては得られることがあったと思っています。

 

まとめと転職をお考えの方へ

いかがでしょうか。

シニアコンサルタント時代は、自分の無力感とひたすら作業をこなすだけの精神的な疲労。先が見えずに、ストレスおよび長時間労働からくる肉体的な疲労。

マネージャ時代は、提案書の提出期限までの時間が限られている中で、自分の力では如何ともしがたい作業量がある絶望感。またその状況に追い込んでしまった自分への後悔、作業時間の確保のため、結果、3日徹夜という短期的な疲労。
といったところでしょうか。

 

読んでいただいて、「なんだ、コンサルタントって、思ったほどハードワークではないね」と思った方は、コンサルタントに興味あれば、転職することをお勧めします。
是非ともコンサルティングファームの門を叩いてみてください。
コンサルタントとして成功する要因の一つとして、精神的、肉体的なタフさは必須の条件であると思います。大したことがないと思える時点で、既に成功する必須の要件を一つクリアしていると思います。

逆に心配になった方もいるかと思いますが、そこまで心配する必要もないと思います。

シニアコンサルタント時代の記載したような数か月にわたるような過重労働については、当時に比べ労働基準法への法令遵守の精神の高まりで各ファームともアラートが上がるような仕組みが、組織的にもシステム的にも構築されています。

また、マネージャ時代のような3日徹夜などは、反省点としても挙げていますが、結局のところ自分のタイムマネジメントに行きつきます。
自分のスキルを正しく見積もり、残り時間と自分の作業量の確認を行い難しいようなら早めに、声を大にしてアラートを上げるようにすれば、そこまで悲惨なことにはならないと思います。

是非とも私の経験を反面教師していただければ、嬉しい限りです。

Pocket
LINEで送る

スポンサーリンク